紅花染処『鈴正』
河北町は「雛とべに花の里」として知られています。室町時代から紅花が盛んに栽培され、江戸時代には最上川の舟運を通じて紅花の集散地として大きな発展を遂げました。
当時の紅花は、米の100倍、金の10倍もの価値があると称された極めて高価な産品でした。ここ河北町を含む村山地域は、全国の生産量の約半分を占めるほどの一大産地として、日本の彩り文化を支えてきた歴史があります。

紅花を積んで京へと向かった最上川の船は、帰り荷として当時の人々が憧れた紅花染の衣装や、女性の唇を艶やかに彩る「紅ちょこ」、さらには陶磁器や豪華な享保雛・古今雛などの人形たちをこの地に運び込みました。
これらの品々が、今の河北町に息づく奥深い文化の礎となっています。
こうした紅花文化の黄金期を経て、一時は失われかけた「本物の紅」を現代に蘇らせた職人がいます。それが、紅染め職人の鈴木孝男氏です。
河北町で代々続く染屋の家系に生まれ、布を扱う繊細な感覚と確かな染色の技術を身に着けていました。転機となったのは1984年、町の歴史を象徴する「紅花資料館」の開館です。当時、山形県内には紅染めを専門とする職人はいませんでしたが、「資料館を訪れる人々に、本物の紅染めを見せなければならない」という強い使命感を抱き、独学でその技法を習得する決意を固めます。
当時、山形大学でベニ色素の研究をしていた馬場教授のもとへ通い、科学的な知見を仰ぐとともに、自身が長年培ってきた染めの技術と融合させる日々が始まりました。試行錯誤を繰り返し、自身が納得のいく紅が染め上がるまでには約3年の歳月を要しました。
1990年には、厳冬期の冷たい水を使用することで、より鮮やかで濁りのない発色を引き出す「寒染め」の技法を確立。自然の厳しさを味方につけることで、唯一無二の色彩を手に入れたのです。

2019年には、オペラ「紅天女(原作:美内すずえ『ガラスの仮面』)」の紅染め衣裳を担当しています。物語の根幹をなす幻想的な紅の世界を、衣装の色で再現してみせました。
現在、紅花資料館に展示されている紅染めの振袖も、その圧倒的な存在感で訪れる人々を魅了しています。
鈴木氏の真骨頂は、独自の探究心にあります。その代表例が「藍染め」との掛け合わせです。藍の本場である徳島県産の藍を用い、自らの手で藍染めを施した後に紅を重ねる高度な技法を使っています。藍染は紅とは違いPHが高いためそのままだと紅色が定着しません。そこで、あえてあえて藍の色を一部抜いて、紅の色を引き立たせるという手法をとっています。この引き算の美学は、染屋としての技術を持っていたからこそ到達できた境地です。
また、甘夏ミカンとリンゴを発酵させた液体に布を通すことで、劇的な発色の向上を実現しました。この手法は、紅がついた指でミカンを食べていた際、指先の色が驚くほど綺麗に発色していることに気づいた実体験から着想を得たというユニークなもの。
鈴木氏は、「ものづくりは工夫して初めて行き着くもの。経験しないと身につかない。」と語ります。すべては研ぎ澄まされた感覚と、現場での発見の積み重ねによって作られています。
「とにかく本物を知ってほしい」という揺るぎない信念のもと、素材を選び抜き、今日も工房で紅と向き合い続けています。その作品に宿る輝きは、単なる色の美しさではなく、一人の職人が歩んできた挑戦の歴史そのものです。



※紅花染処『鈴正』の紅染め商品は、紅花資料館で購入いただけます。